「美味しい」をつくる10の手――7人目 仕上げる手 藤澤 なつみ
「久保田」などの日本酒を造る新潟の酒蔵、朝日酒造。品質本位の酒造りはそのままに、お客様の美味しさに挑戦しています。そんなお客様の「美味しい」を生み出すつくり手たちにインタビューします。彼らは「美味しい」にどんな想いで向き合っているのか、話を聞きました。第7回目は、調合精製を担う藤澤 なつみさんです。
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ワインの味わいは原料であるぶどうの品質に影響を受けるため、年によって変わるのが一般的。それに対し日本酒は、毎年同じ味をしているものもあるようです。日本酒も米を原料としており、年によって米の品質は異なるはずなのに、どうしてそのようなことが可能なのでしょうか。実際に酒蔵に聞いてみました。
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新しい年になり、「贔屓のスポーツチームの成績、今年は一体どうなるかな?」など、毎年関心を寄せている事柄が頭を過るタイミングです。
そうした「今年の出来栄え」が世間の注目を大きく集める例として、フランス産のワイン、ボジョレー・ヌーヴォーがあります。ボジョレー・ヌーヴォーに限らず、一般的にワインは毎年味わいが変わるとされ、それは原料であるぶどうの出来に味わいが左右されるためです。
そして原料の出来に影響を受けるのはワインに限った話ではなく、米を使って造られる日本酒でも同様です。同じ酒蔵の同じ商品を買ったにもかかわらず、味わいが昨年と違う感じがする、という話を耳にすることも。
他方で、毎年同じ味の日本酒を安定的に造っている酒蔵も存在します。
年によって出来が変わってしまうのが当然である米を原料としながら、毎年同じ味を楽しめる日本酒を造れるのはなぜなのでしょう?
そこで今回はその疑問を解消すべく、新潟県の酒蔵、朝日酒造を取材してみることに。
1985年の発売以来、全国の日本酒ファンから支持を集め続けている銘酒「久保田」を造る酒蔵なら、今回浮かんだ疑問にも快刀乱麻を断つがごとく答えてくれるはずです。
実際に愛飲者からは「去年と味わいが違うなと思う日本酒もある。ちょっとイメージと違ったなとなってしまうことが多いなか、『久保田』はずっと毎年飲んでも美味しい」という声が寄せられることもあるそうです。
今回疑問に答えてくれるのは、朝日酒造の製造部のトップとして酒造りを統括している製造部部長 安澤(あんざわ)義彦さん。
それではいざ、朝日酒造の日本酒が毎年同じ味を保っている理由について、安澤さんに聞いてみましょう。
「第一の理由は、日本酒の仕込み本数が多いメリットを活かし、日々の発酵管理の微調整が可能だからです。朝日酒造は今酒造期も500本程度の仕込みを予定しており、商品の出荷量に応じて数本から数十本分を造ります。そのため、一本ごとの微妙な変化を調整し、銘柄に相応しい味わいへと発酵を管理することができます。だから、味わいの均質化が可能なんです。
一方で、毎年仕込み1本分しか造らないという商品もあります。一発勝負の難しさから、杜氏は頭を抱えますが、知識と経験から『今年の味』を造るんです。とは言え、おおよそ前回に近い酒質に造り込まれています。搾られた酒をきき酒する時は、ちょっとワクワクしていますね。
そういったタンク1本分しか造らないという商品を除き、朝日酒造では仕込み3本を一組として仕込んでいます。
ですが、以前は一組分の米全てを1本の仕込みとしていました。それでもいいんですけど、その仕込み方は毎年タンク1本分しか作らない商品の仕込みに近いんですよね。
一組3本の仕込みとすることで、仮にそのうち1本にもし何かあったとしても、他の2本はそのまま生かして、もう1本はいつもと違った濾過をする、というように個別の対応ができます。私がずっと若い頃、実際にあったようですが、近年はとても安定しているので、きき酒が楽しみでしょうがないですね。
仕込み本数の積み重ねによって、より適した発酵管理が可能になる。一本ごとに起こっているわずかな変化を微調整しながら日本酒を造り込んでいく。こうした酒造りの実践が、味わいを均質にしていく。酒造りはリレーに例えられるように、均質なものを均質なままに進めていくので、味わいが安定している。それが、朝日酒造の売りの一つかなと思いますね」
「搾った日本酒は飲み頃の味わいまで熟成させる目的で、一定期間貯蔵します。
朝日酒造には貯蔵用のタンクが、大なり小なり400本ほどあります。そしてそのタンク一本一本が、中に入った日本酒の酒質に合わせて管理できるようになっています。これが、ありそうでない。
そもそも日本酒の貯蔵の方法としては、大きく3つあります。
まずは、タンクのある部屋を空調で丸冷やしする方法。要は部屋ごと冷蔵庫にして、そこにタンクを並べて冷却する。
2つ目はジャケット方式、3つ目はガス冷媒方式と呼ばれるものです。空調のある部屋にタンクを並べ、さらにタンク一本一本の外側に冷水やガスを循環させて冷却させる方法です。現在、朝日酒造の貯蔵タンクは、ジャケット方式かガス冷媒方式を採用しています。
貯蔵前のタイミングできき酒をしますが、例えばその際に『味わいが強いから、ちょっと劣化しやすいタイプかもしれない』という日本酒があったとします。その場合『これは5℃まで下げて貯蔵しておくことにしよう』『こっちは10℃にしておこう』など、同じ銘柄でも個別に指示することもあります。
それに加え、貯蔵している日本酒は、どれもおおよその出荷時期が決まっています。出荷時期にベストな状態にするために、品温を管理しながら貯蔵しています。
こういったことは、タンクのある部屋を空調で丸冷やしする方法ではできません。部屋の中には大吟醸酒の入ったタンクもあれば普通酒の入ったタンクもあり、さらには生酒が入ったものもあるのに、それぞれに合わせた管理ができない。
その点、ジャケット方式やガス冷媒方式はタンクごとに個別管理ができるので、中に入っている日本酒の特徴に合わせて、より最適な貯蔵環境を作れるんです」
「また、貯蔵タンクの容量も重要なポイントになります。
仮に、ある日本酒を大容量のタンクに入れて貯蔵したとします。そうするとタンクの中の日本酒は、出荷のタイミングが来る度、少しずつ減っていくわけです。そして最後には、タンクにほんの少しだけ残っているような状態になる。そこまでタンクに残っていた日本酒は、同じ名前だけどもう別物になっています。同じ名前を冠した日本酒であっても、タイミングによって味わいが違ってきます。
朝日酒造にあるタンクは、残り少ない日本酒がタンクに貯蔵されている、という状態があまり長くならないような容量で設計されています。1回は難しくとも、2回、ものによって5回ぐらいあるかもしれないですけど、そんなに長い期間かけずに、日本酒の質が大きく変わる前に全部使い切れる容量になっています。
あまり話題にはならない部分ですが、味わいが安定しているという意味では、朝日酒造の強みは貯蔵にもあるのかもしれませんね。
香りが華やかな日本酒を貯蔵する時は、大きいタンクでなく、冷える環境を作りやすい小さいタンクに入れてくださいと指示します。当然のことながら、小さい方がすぐ冷えますよね。また、地下はやっぱり涼しいですから『貯蔵棟の地下にあるタンクがいいな』というところまで考えています」
「もう一つ大きい理由を言うと、一番最後の工程である調合精製ですね。朝日酒造では、貯蔵した日本酒を瓶詰めする前に、調合濾過をして味を整えていく工程をそのように呼び、製造部内に調合精製課という部署が存在します。
仕込みの時点から均質化を図っているとは言え、貯蔵している間に、日本酒はタンクごとに状態が違ってきます。例えば看板商品である『久保田 千寿』であればタンク数十本分あり、やはりタンクごとに味わいや香りが微妙に異なるのです。そのちょっとずつの違いを見極め整えているのが調合精製課の主な仕事です。
そしてもう一つ、紹介したい調合精製課の仕事があります。
これはどちらの酒蔵さんでもされているとは思うんですけれど、朝日酒造においても、前年に造った古酒と呼ばれるものと、その年に造った新酒を、ある日を境に突然切り替えることはしません。
同じ日本酒であっても古酒と新酒では味わいが異なりますので、新古混和という古酒と新酒が混ざっている状態の期間を必ず設けるんです。そうしないと、同じ日本酒なのに味わいがいきなり変わってしまいます。
例えば、この日までは古酒を100%使いましょう、この期間からは古酒を70%、新酒を30%入れるようにしましょう、次は50%ずつにしましょう、その次は古酒を30%、新酒を70%にしましょう、最終的には新酒を100%にしましょうという風にさせてもらっています。
古酒と新酒の配合はこうしましょう、その期間は例えば何ヶ月ぐらいかな、などと決めながら、一年中同じような味わいになるようにしていますが、それはサンプルの評価を元に決めていきます。サンプルは小さな濾過機を使ったミニブレンド(小試験)によって作成しており、これもとても重要な調合精製課の仕事なんです。
つまり、日本酒の味わいを見極め、整えていくための専門部署があり、より細やかなブレンドができる。これも、朝日酒造の日本酒の味わいが安定している理由であり、強みかもしれません」
「こうして造った日本酒は最後に社内のテスター10名の舌による官能評価を行って、味わいを担保しています。酒類鑑評会や品評会審査員経験者、酒類総合研究所の清酒専門評価者の認定者など、十分に知識と経験があるメンバーです。
もちろん米の出来や精米の仕方も、日本酒の味わいを安定させるためには大事です。ですが、食味などの米の品質に影響を与える土質や気象は、人為的にはなす術がないのも事実。精米の仕方であれば人間がコントロールできそうですけれど、元々の米の状態が反映されるので、それも人がどうこうするには限界があるんです。
反対に、仕込みや貯蔵、調合精製の三つについては、人間がどうにかできる。日本酒は生み(醸造)、育み(貯蔵)、嫁ぐ(調合精製・充填)というように、人の成長に例えられることがあります。手をかけただけ愛しいものですから、お客様の美味しいの声は私たちにとって何物にも代えがたい喜びで、明日への糧となりますね。朝日酒造が毎年同じ味の日本酒を造れる理由としては、そういった部分が大きいのではないでしょうか」
ワインと同様、原料の品質に影響を受けながらも、毎年同じ味を楽しめる日本酒の存在。それは、酒造りに携わる人たちが自らの目や手を使って日本酒を管理し、試行錯誤した賜物でした。
飲みたくなった時に、いつも変わらずそこにいてくれる「この味」。今日の一杯は、それを生み出す舞台裏を想像しながら楽しんでみませんか。