本物を届けたい、手すきの和紙と書との出会い~「久保田」誕生物語~
2020.05.15

特集

本物を届けたい、手すきの和紙と書との出会い~「久保田」誕生物語~

2020年、朝日酒造は会社創立100周年、代表銘柄「久保田」は発売35周年を迎えました。1985年の発売当初から、久保田の“顔”には地元の手すき和紙が用いられています。今回は「手すき和紙」とそこに描かれた「久保田」の文字との、35年前の出会いに迫ります。

目次

  1. 手すきの和紙との出会い
  2. 自然に寄り添った和紙づくり
  3. 「機械を和紙に合わせて作りなさい」
  4. 最後の1枚
  5. 想いと技の集大成

手すきの和紙との出会い

手すき和紙

新潟の良さを発信し、新しい美味しさを届けようとの決心から、創業当初の屋号“久保田屋”の名を冠した日本酒「久保田」。当時の社長・平澤亨は、その顔となるラベルには、地元新潟の風土に育まれてきた手すきの和紙だと心に決めていました。新潟県は古代から長きに渡って、紙すきが熱心に行われていたのです。

1985年の久保田発売前の3月上旬、平澤は、小林康生という青年が地元で和紙をすいているという話を耳にしました。降雪4メートルを超える大雪の中、朝日酒造の工場長であった嶋悌司とその和紙工房を訪れ、久保田にかける想いを、「朝日酒造の創業時の原点に返った酒『久保田』を、一緒に創って欲しい」と伝えました。

小林康生氏は当時を振り返り、こう語ります。
「久保田は原点に返った酒という言い方が、自分なりに素朴なというのが重なってきたんですよね。その結果、今の和紙ラベルに決まったけれども、自然の強さというか自然の素材感がそのままもろに出た場合には、人を説得させる力みたいなものがあると思うんですよ。」(嶋悌司(2007) 酒を語る 新潟日報事業者社 p217)

本物を世の中に広めたいという両者の想いは合致し、久保田のラベルには、1枚1枚手ですいた温もりのある和紙が用いられることになりました。

自然に寄り添った和紙づくり

雪さらし

小林康生氏のいる門出和紙工房は、新潟県柏崎市の高柳地区にある伝統的な工房です。周辺には棚田が広がり、自然豊かな里山で冬には3メートルほど雪が積もる豪雪地帯。この気候風土を生かした技が、今なお受け継がれています。

門出和紙工房では、紙の原料であるコウゾの木を地元で栽培しています。原料を育てる地域と、商品の生産地が同じなのです。
紙を白くするための漂白剤などは一切使わず、伝統的な手法である「雪さらし」によってつやのある強い紙が生まれます。雪さらしとは、2~4月の天気の良い日に行う作業で、収穫し乾燥させたコウゾの皮を真っ白な雪の上に並べ、色を抜いていきます。

和紙となるコウゾを育てるところから始まり、収穫する人、雪さらしを行う人、煮る人、剥がす人、和紙をすく人…各々の技と想いが繋がり、久保田の“顔”が生まれ続けています。

小林康生氏

「私が目指している和紙は、“必然の、人為が介入しない素朴な紙”です。風合いも耳付も一枚一枚違う、生きているかのような温かみを感じる、いや、生きている紙です。職人のような完璧な紙ではなく、百姓のような、自然や気候に寄り添ったところに“知恵の紙”があると思っております」(小林康生氏)

「機械を和紙に合わせて作りなさい」

機械によるラベル貼り

発売当時、久保田の和紙ラベルは瓶詰工場の社員が1枚1枚手で貼っていました。手すきのため厚みに多少の差があり、湿気の多い時期は紙がやわらかくなり、乾燥している時期は固くなります。和紙1枚1枚の状態に合わせて上手く調節しながら貼る作業には、大変な苦労がありました。

「手すき和紙は機械に合わないから使えない、と多くの社員が言いました。しかし平澤さんは、『機械を和紙に合わせて作りなさい』とラベル貼りの機械化を朝日酒造で目指しました。機械化に何回失敗しても、和紙を改良してくれとは私に一言も言いませんでした」(小林康生氏)

朝日酒造では何度も何度も機械の改良が重ねられ、機械によるラベル貼りが翌年からついに開始しました。
久保田のラベルは新潟の風土に育まれてきた手すきの和紙しかない、そう発売前から心に決めていた平澤の想いを貫いたのです。

最後の1枚

「久保田」の文字

和紙と同じく「久保田」の文字も発売以来、新潟県出身の書家坂爪昭一(さかづめしょういち)氏が揮毫した書が採用されています。

坂爪昭一氏は当初、創業時のとっくりの「久保田」の文字を使ってはどうかと提案しました。しかし平澤は、新たに書いて欲しいと懇願。創業時の精神をただ受け継ぐだけでなく、当時としての今を、「新しい美味しさ」への挑戦を表現したいという強い思いがありました。

坂爪昭一氏は何回も朝日酒造に足を運び、まずは久保田発売の意義を学びました。
「ただ書けばよいと言うものではありません。依頼者のお酒に対しての将来性、方向、深さなどをお聞きし、誰にも読めるように、そして品格あるレッテルであるよう祈りながら揮毫するのです」(坂爪昭一氏)

書いた「久保田」の文字は600枚を超えるほど。その中の数枚を坂爪氏は提出し、平澤が選んだ最後の1枚が、久保田の“顔”となったのです。

想いと技の集大成

久保田千寿

酒、和紙、書、つくり手それぞれの想いと技とが繋がり「久保田」は誕生しました。根底にあったのは、伝統を受け継ぐだけではない進取の挑戦と正道の精神。当時の精神は今も「久保田」に生き続け、そしてこれからも、挑戦を続けていきます。