“淡麗辛口”だけでは語れない美味しさを求めて─「久保田」の朝日酒造が歩み始めた変革の道
2020.03.30

特集

“淡麗辛口”だけでは語れない美味しさを求めて─「久保田」の朝日酒造が歩み始めた変革の道

2020年の朝日酒造の会社創立100周年、そして「久保田」の発売35周年に合わせ、「久保田」のブランドリニューアルを発表。「久保田」を造り続けてきた朝日酒造が、変革の時を迎えようとしています。日本酒の一時代を築いた酒蔵は、なぜこのタイミングで新たな試みに取り組むのか、ご紹介します。

目次

  1. 時代のニーズをいち早くつかんだ「久保田」
  2. 「置けば売れる酒」の弊害
  3. 起業家の精神を取り戻すために
  4. "淡麗辛口"だけでは語り尽くせない、真の美味さを

新潟県を代表する銘酒「久保田」は、すっきりとしたキレのある"淡麗辛口"の代表として、1985年の誕生以来、全国の日本酒ファンから大きな支持を集めてきました。

その流通は「久保田会」に参画する正規販売店のみに限られ、なかなかお目にかかれない貴重なお酒というイメージをもっている人も少なくないでしょう。

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そんな「久保田」を造り続けてきた朝日酒造が、変革の時を迎えようとしています。日本酒の一時代を築いた酒蔵は、なぜこのタイミングで新たな試みに取り組むのでしょうか。

時代のニーズをいち早くつかんだ「久保田」

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朝日酒造は、水田と里山が広がる新潟県長岡市で1830年(天保元年)に創業し、180年以上に渡って、酒造業を営んできました。

1920年(大正9年)の株式会社化。1926年(大正15年)の販売店組織「朝日山会」設立。1929年(昭和4年)のホーロータンク導入。そして、低アルコールの純米酒やスパークリング清酒の開発など、常に時代の先を見据えた酒造りを行なってきました。

そんななか、1985年に誕生した「久保田」は、まさに社運を賭けたブランドでした。創業以降、「朝日山」のみを醸していましたが、原点回帰の意味を込めて、創業当初の屋号「久保田屋」の名を冠した、まったく新しい酒として「久保田」を発売したのです。

朝日酒造の取締役社長・細田康さん

「『久保田』は、最初から"淡麗辛口"を目指していたわけではありません。他の酒類に押され、地元での需要が減りつつあるなか、都市に暮らす人々の食生活に合った日本酒はどんなものなのか。時代のニーズを、当時の社長・平澤亨と工場長・嶋悌司を中心に追求していた結果、キレのあるすっきりとした酒を目指すことになりました。それが多くの方々に受け入れられ、新しい市場を切り拓いたのです」

このように話すのは、朝日酒造の取締役社長・細田康さんです。

「長い歴史のある酒蔵ですが、創業家には起業家の気質があったのだと思います。いち早く近代的な設備を導入し、特に戦後から、より良い酒を造るための投資を30年ほどのスパンで続けてきたのです。さらに、低アルコールの純米酒やガス充填のスパークリング清酒など、当時としてはかなり先駆的な開発も行なっていました。そのなかで『久保田』が生まれたのです」

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「千寿」と「百寿」の2商品で始まった「久保田」は、1986年に「萬寿」を発売。その後、生酒の「翠寿」、山廃の「碧寿」と続き、1993年に「紅寿」を発売します。

その後の躍進は多くの人が知っているでしょう。それまで、"芳醇旨口"が多かった日本酒業界で「"淡麗辛口"こそが美味い酒だ」と、新たな価値観が共有されるようになりました。そして、普通酒が主流だった日本酒市場のなかで高級酒に光が当たるようになり、都市圏を中心に新潟地酒ブームが巻き起こります。

「電話がひっきりなしにかかってきました。売上も右肩上がりで、競合を気にすることはありませんでした」と、細田さんは当時の熱狂的な盛り上がりを振り返ります。

「久保田」は、"淡麗辛口"の代表として大きな支持を集め、会社の売上は15年ほどで2倍以上に飛躍しました。

「置けば売れる酒」の弊害

2000年代に入って「久保田」の勢いは落ち着き、全国の酒蔵が、こぞって特定名称酒に注力する時代がやってきました。その過程で、細田さんはある危機感を抱くようになります。

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「『置けば売れる』という状態が続いたため、いつしか、正規販売店ですら『久保田』のことを語らなくなってしまった。私たち自身も、"淡麗辛口"以外に語る言葉をもたなくなってしまったのです」

「久保田」のなかでも、多くの人が求めるのは「萬寿」や「千寿」。ハレの日に飲む酒や大切な人に贈る酒として圧倒的に支持されている反面、新しい顧客を開拓できないという課題がありました。

「食の多様化をうけて、日本酒の楽しみ方も変わってきました。当社が続けてきた品質本位の酒造りはそのままに、新しい美味しさを提案すべきタイミングがやってきたのです」

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また、2004年に新潟県中越地震が起こり、新潟県の酒蔵が苦戦を強いられるなかで営業部長に就任した細田さんは、取引先からの「朝日酒造さんは大手だから......」という言葉に、ますます危機感を募らせました。

「二次流通で、半ば公然と大手スーパーなどで販売されるようになった結果、『いつでも飲めるから』と、真っ先に手に取られることがなくなってしまったのだと思います。"どこにでもある酒"として、本当の価値が伝わらなくなってしまった。もういちど、『今すぐ飲みたい・伝えたい美味しさ』に立ち返らなければならないと考えたのです」

起業家の精神を取り戻すために

2012年、細田さんは創業家出身者以外として初めての社長に就任します。

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「『久保田』を守り続けてきたことは、誇るべきこと。『久保田』があったからこそ、現在に続く特定名称酒市場の拡大があったと自負しています。ただ、その事実に囚われるあまり、社内が変化を恐れるようになってしまった。

しかし、変化の激しい今の時代にわかりやすい方程式なんてないんです。お客様が何を求めているのかを丹念に見極め、新たな価値を提案していかなくてはなりません。伝統を守り続けてきた前社長が私を社長に指名したことが変革への期待であり、決意に他ありませんでした」

変化の兆しは、2017年に発売された2つの新商品から感じ取ることができます。

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ひとつは、久保田では初めてとなる他企業とのコラボレーションから誕生した「久保田 雪峰」。タッグを組んだのは、アウトドアブランド「Snow Peak」です。「アウトドアで日本酒を楽しむ」というコンセプトから生まれた漆黒のボトルデザインは「久保田」としては異例のものでした。

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もうひとつの新商品「久保田 純米大吟醸」は、華やかな香りをもつ一本。2017年の限定発売で高く評価され、2018年4月から通年商品として販売されています。「久保田」の通年商品に新たなラインアップが加わるのは、なんと25年ぶりのことです。

「これまでの私たちだったら、"らしくない"と躊躇していたかもしれない。新しい酒を『美味しい』『かっこいい』と手に取ってくださるお客様がいることに、社内が勇気づけられたんです。次のチャレンジにつながる布石になったと思います」

"淡麗辛口"だけでは語り尽くせない、真の美味さを

朝日酒造は、来る2020年、会社創立100周年と「久保田」誕生35周年を迎えます。節目に向かってスタートした大きな変革への小さな挑戦。しかし、「久保田」らしさを貫く信念がブレることはありません。

「『久保田』に一貫しているのは"キレ"。ひと口で美味しいと感じられる酒を目指していきます。まずは"淡麗辛口"という言葉だけでは語り尽くせない『久保田』の美味しさをお客様へ伝えていきたい。ハレの日だけでなく、生活のなかに息づいた飲みやすい酒としての『久保田』を届けていきたいんです」

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「久保田」が築き上げた"淡麗辛口"という文化。それはある種の最大公約数として、多くの人がその美味しさを共有できるものであることは間違いないでしょう。しかし、朝日酒造は今、その先にある真の美味しさを追い求めて、創業当時の起業家精神で変革の道を歩み始めました。「久保田」の新しい挑戦が、飲み手はもちろん、社内にどんな影響を与えていくのでしょうか。

文:大矢幸世 
出典:SAKETIMES